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第八回医師の働き方改革と時間外労働・休日労働に関する協定

平成30年2月27日、医師の働き方改革に関する検討会において、「医師の労働時間短縮に向けた緊急的な取組」が発表されました。次のような取組みを実施すべきとしてまとめられています。

【緊急的な取組の項目】
①医師の労働時間管理の適正化に向けた取組
②時間外・休日労働に関する協定届(36協定)等の自己点検
③既存の産業保健の仕組みの活用
④タスク・シフティング(業務の移管)の推進
⑤女性医師等に対する支援
⑥医療機関の状況に応じた医師の労働時間短縮に向けた取組

いずれも大切であることは理解できます。しかし、実際に行う場合には様々な問題が発生するであろうことが予想されます。
今回は、「時間外・休日労働に関する協定届(36協定)」と労働時間規制について取り上げます。

時間外労働は原則禁止

昭和22年に制定された労働基準法では、1日8時間・1週48時間の法定労働時間を定め、時間外労働は原則として禁止されており、罰則もあります。

この法定労働時間を超えて労働(法定時間外労働)させる場合には、あらかじめ労使で書面による協定を締結し、これを所轄労働基準監督署長に届け出ることが必要です。この協定のことを、労働基準法第36条に規定されていることから、通称「36(サブロク)協定」といいます。「36協定」とは、端的に言えば刑罰の解除条件、すなわち「免罪符」のような意味を持つものであると言えます。

医療分野の勤務環境改善マネジメントシステムに基づく医療機関の取組に対する支援の充実を図るための調査・研究委員会の実施したアンケート調査によると、90%以上の医療機関は届出を行っているようです。

※出典:医療分野の勤務環境改善マネジメントシステムに基づく医療機関の取組に対する支援の充実を図るための調査・研究委員会 (2017年) 『医療勤務環境改善マネジメントシステムに基づく医療機関の取組みに対する支援の充実を図るための調査・研究事業報告書 117頁』より

時間外・休日労働に関する協定届(36協定)の内容

協定を締結する際には、容易に臨時の業務などを予想して対象業務を拡大したりする36ことのないよう、時間外労働や休日労働の対象労働者や業種、具体的事由のほか、次のような事項を定める必要があります。

出典:厚生労働省リーフレットより

◆限度時間

時間外労働の上限は、厚生労働大臣告示において、次表のとおり、1か月45時間、1年360時間等とされています。
ただし、後述する特別条項を締結すれば、年間6か月まで、限度時間を超えて労働させることができます。

延長時間の限度
期間 一般労働者 1年単位の変形労働時間制の
適用対象者
1週間 15時間 14時間
2週間 27時間 25時間
4週間 43時間 40時間
1箇月 45時間 42時間
2箇月 81時間 75時間
3箇月 120時間 110時間
1年間 360時間 320時間

◆有効期間

労働基準監督署では「36協定の有効期間は最長でも1年間とすることが望ましい」と指導されています。

◆自動更新

自動更新の定め自体は有効ですが、労使が連署捺印した届出は必要です。
「36協定の有効期間について自動更新の定めがなされている場合には、更新の届出は、当該協定の更新について労使双方から異議の申出がなかった事実を証明する書類を届け出ればよい」。(昭和29.6.29 基発第355号)

◆特別条項

臨時的に限度時間を超えて時間外労働を行わなければならない特別の事情が予想される場合に、特別条項付きの協定を結べば、限度時間を超える時間を延長時間とすることができます。とはいえ、特別条項を定める場合には、その時間をできる限り短くするという努力義務もあります。

〈特別条項を適用するための主な要件〉
(1)特別条項が適用される回数は、年間6回までという制限がある。
(2)特別条項を適用させるためには、「救急患者の緊急手術」「入院患者の急変や患者・家族への指導・説明等に対応」といった、個別具体的かつ特別な理由が必要となる。
(3)特別条項を適用させるためには、労使間で協議、通告等の手続方法を定める必要がある。

労働時間規制の変遷

労働時間規制の歴史は古く、その源流は、工場法の導入期まで遡ります。18世後半、イギリスにおける労働時間は、産業革命に伴い突発的に長くなり、19世紀前半には平均で1日12時間、週70時間にもなりました。日本でも明治維新以降に資本主義が導入され確立する過程において、平均で1日12~13時間、製糸業では17~18時間にも達するほどになったという記録が残っています。イギリスでは1833年に工場法が制定され、繊維工場の児童・年少者の労働時間が制限されることとなり、1847年、工場法の改正により10時間労働制が導入されています。

世界で8時間労働制が最初に謳われたのはオーストラリアであると言われており、メルボルンで建築職人が8時間協約を結んだことが知られています。その後、周知のように1886年5月1日、アメリカの労働者が8時間労働制を求めて大規模なデモを行い、これが一つの契機となって、世界的に8時間運動が広がっていくこととなりました。
この原則の背景は、「8時間の労働、8時間の睡眠、8時間の自由時間」という考え方であることもよく知られています。

日本における労働時間規制は、日本国憲法27条2項(「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。」)に基づき、1947年に労働基準法が制定され1日8時間・1週48時間の法定労働時間が確立されたことから始まります。当時、この法案作成の際には、単なる工場法の改正ではなく全く新しい労働保護法を作るという熱意をもって、「ILO第1号条約を取り入れたいが戦後の日本において8時間労働で国民生活を支えるのは不可能ではないか」などと1週間に及ぶ激論を経て結論付けられたとされています。
日本の労働者の年間総労働時間は、高度経済成長期には賃金以外の労働条件にも関心が向けられるようになり、短縮が進みました。しかし、オイルショック以後は、企業はあらゆるコストを削減するため、時間外労働を多用して経営の合理化を促進し、横ばい状態となりました。これに対して欧米諸国の年間総労働時間は、高度経済成長期に著しく短縮されています。

1980年代には、日本の工業製品が世界市場に浸透するなかで、日本経済のあり方に対する欧米諸国からの批判が高まり、労働時間の格差が日本企業に対するソーシャル・ダンピング批判の根拠とされ社会問題化しました。そのため日本では、世界経済の中で日本が孤立していくことを避けるため、欧米先進国並みの年間総労働時間の実現と週休2日制の実施が喫緊の過大とされました。要するに、国際的外圧を契機に、1987年の労基法改正が行われたといえます。この改正によって、法定労働時間は、週48時間制から週40時間制へ、10年をかけて段階的に移行されました。なお、1日当たりの8時間労働制に変更はありませんでした。

それでは、我が国において、労働時間短縮という、労働時間規制の目的は達成されたのでしょうか?この点については、消極的に評価せざるを得ません。その最大の原因は、特別条項などで実質的に労働時間規制を骨抜きにしている36協定にあると考えられています。

36協定に求められる役割

前述の「医師の労働時間短縮に向けた緊急的な取組」のなかでは、「医師を含む自機関の医療従事者とともに、36協定で定める時間外労働時間数について自己点検を行い、業務の必要性を踏まえ、長時間労働とならないよう、必要に応じて見直しを行う。」とされています。
36協定を「規制の抜け穴」として捉えるのではなく、労使ともに長時間労働問題について考えるきっかけとして捉えることを期待されていると思われます。